2017年3月29日水曜日

動物好き

店長はパールという名のゴールデンレトリーバーを飼っていたこともあり、大の犬好きでした。店でも犬が来ると喜んで撫でていました。最近では犬のおやつも準備してワンコたちの集会場みたいになることも多かったです。

猫も飼っていると言っていたし動物全般好きだったのかもしれません。
ある日店に行くと鳥かごがあり、中に小鳥が入っていました。聞くとこの鳥はヒヨドリの雛で、パールの散歩中目の前に落ちてきたんだそうです。見上げるとカラスがこっちを見ていて「あいつが落としたんだ。放っておいたら食われてしまう」と持ち帰ったそうです。
そしてカラスのエサになるところだったという事で「エサ子」と名付けました。なんだそりゃ(笑)

エサ子は初めのころはまだ飛べなくて、店長が本で調べてエサを作り食べさせていました。そのうち飛べるようになると行き帰りの車の中で離し、また店内でも店長の肩にとまって口でチュッチュして、こっちが見ていられないような事もしていました。

2か月ほどしてエサ子はすっかり元気になり店長にもすごく慣れていましたが、やはり野生の鳥を飼う事はできないらしく、金沢八景にある施設に連れて行きました。「係の人に渡した瞬間すごく大きな声で鳴き出したんだよ」としんみり話してくれました。

これも10年以上前のエピソードです。古くからのお客様の中には覚えている方もいることでしょう。



エサ子。写真が店の引き出しの中から発見されました

2017年3月27日月曜日

奥沢スペシャル

言わずと知れたビーンズ奥沢店の大ヒットブレンド「奥沢スペシャル」。約40種類置いてある珈琲豆のなかでも断トツの売り上げを誇ります。

元々は新保店長が鷺沼で店を立ち上げた時に発明された、と聞いています。
「発明された」というのは少し大げさかもしれません。他のブレンドを作ろうとして違う豆を混ぜてしまった⇒仕方ないから飲んでみる⇒美味い⇒店に出してみる⇒大ヒット!という経緯らしいです。店長はよくその時の事を「神様が降りてきた」と言っていました。当時は「鷺沼スペシャル」という名前でした。
その後奥沢店を始めて「奥沢スペシャル」となり現在に至っています。

ブレンドですから何種類かの豆が入っています。その中の1種類でも入荷しなくなったらブレンドは成立しません。奥沢SPもその危機は何度かあったようです。でもその度に他の豆でトライして何とか味をキープしてきました。ですから当初のレシピとは変わってますし、現在の鷺沼SPとも違うようです。

そして簡単にレシピを教えることはしませんでした。教えてもらったのは奥沢店から独立した「ムジナガイケ珈琲焙煎所(新百合ヶ丘)」の妹弟子だけだと思います。本気で独立を考えている人にしか教えない。それほど大事にしているブレンドなんです。僕も他のブレンドのレシピは知っているものの、奥沢SPだけは教えてもらえませんでした。

亡くなってから遺されていたノートにレシピが書いてありました。結局僕も直接聞くことは叶わなかったので引き継いでいいものか複雑な思いもあります。でも利用させてもらうことにしました。新保店長の魂を福岡に持って行きます。

「新保店長の奥沢店」の営業はラスト1日! 3月31日(金)です。


2017年3月25日土曜日

店長との飲み会

店長はお酒も好きでした。

でも僕が奥沢に通うようになった最初の頃、店長と飲みに行くことは全くありませんでした。後で話を聞くと「自分がおごらなくてはいけない」と思っていたそうです。

僕は店員だった若い男の子と気が合い、彼とはたまに飲みに行っていました。アルバイトの人たちとも仲良くなったこともあり、店長もようやく飲み会に参加することになりました。
「割り勘でいいんだ」と思ったのか(笑)予想以上に楽しかったのか、それからは頻繁にみんなで行くようになりました。2003年頃のことです。

近場の自由が丘や田園調布のレストランや奥沢の焼き鳥屋「駅」、店長が行ったことがあるということで横浜の生麦にあるキリンのビール工場には2回も行きました。

亡くなってから昔の写真を探していたら、色んな飲み会での写真が出てきました。

その頃のメンバーが辞めてからはすっかり行かなくなりました。
でも自宅では飲んでいたらしく、お気に入りの芋焼酎を通販で買いすぎたと笑っていたこともありました。

また一緒に飲みたかったな。

2003年11月
2004年6月
2005年7月
2008年4月

2017年3月20日月曜日

奥沢店の底力

3月18日(土)と19日(日)、2日続けて開店しました。
お陰さまで両日とも多くのお客様においでいただきました。
でも19日はいくぶん余裕があり、座って昼食をとることができました。
しかしセール並みの忙しさです。

店長が休みに入った2月上旬、初めてスタッフだけで店を開けた時のことです。
1月セールからまだ2週間しか経ってない頃なのに、セールでもあまりないほどの忙しさ。僕どころかスタッフ全員昼食をとれない程でした。

店を閉めてから聞きたいことがあり店長に電話しました。
「すごく忙しかったですよ~」と僕が言うと「奥沢の底力を見たか!」と返されました。

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3月に入ってから、お客様に店長のことをお伝えすることを一番に店を開けてきました。
みなさんショックを受けられるのはもちろんですが、必ず僕たちに労いのお言葉をくださいます。
嬉しいのは今まで月に1~2度くらいのご来店だったお客様が毎週のように来られることです。そしてあと2日の開店にもかかわらず「また来ます」と言ってくださいます。

「奥沢の底力」 まさにこのことだな。

充実感でいっぱいです。店を開けてよかった。
店長が育てたこの店をうまく締められるかどうか分かりませんが、残り2日精一杯やらせていただきます。

次の開店日は26日(日)、そしてラスト31日(金)です。
31日はもう買わなくていいんで、顔を見せに来てください。
19時ころからは店内にてスタッフとお客様とで軽く持ち寄りパーティーをする予定です。お客様はどなたでも参加OKです。ぜひおいでください。
これは会社には言ってないので内緒にしといてください(笑)

(画像はセール時のものです)

2017年3月18日土曜日

店長のスタイル

僕が通い出した最初の頃、店長は今の僕と同じ50歳くらいだったと思うのですが、太ってはないものの「休日のお父さんの格好」といういでたちで、決してカッコイイとは言えないものでした。

10年ほど前、60歳を過ぎてから始めたウィンドサーフィン。その場でもコーヒーを振る舞っていたようです。
その頃から格好が今どきというか、Gパンに夏はTシャツ、冬はデニムシャツ(裾はアウト)というふうになりました。

また髪も黒く染めることをやめ、白髪のままでいるようになりました。
でも太ってもいず、ラフな格好もあって、お客さんから見ても70歳を過ぎているとは思ってもらえないほど若々しかったです。



2013年6月

2017年3月13日月曜日

店じまい

2017年1月から体調を悪くしていた「ビーンズ奥沢店」新保店長が、2月末に亡くなりました。73歳でした。

2月から療養のため店は休みにしていたのですが、お客様と、戻ってくるだろう店長のため、スタッフが総動員して土日だけ営業していました。

亡くなった後、2月一杯で店を閉める可能性もありました。でも23年間続いたこの店を、何のお知らせもなく突然終わらせるのは我慢ができなかった。

僕は20年間、店長にお世話になりました。最初は客として。そしてコーヒーの勉強がしたいと毎週末に手伝うようになり、その後約2年間は毎日通い店長と二人でやっていた時期もありました。最近は別の仕事をしながら月末セールの時に1日だけ手伝っていました。
どうしても店長との関係を切りたくなかったんです。

そして今年1月上旬、今秋に福岡で独立することを伝えることができました。すごく喜んでくれて、奥沢開店時の資料など何でも見せてあげると言ってくれました。

それから間もなく、1月セールの時には相当具合が悪くなっていました。会ったのはそれが最後となりました。

色んな事情があり何人かのスタッフは辞めてしまいましたが、僕と女性スタッフNさん、そして急きょお願いした方とで、3月末まで営業することにしました。

お客様にお別れもできず、店長は無念だったと思います。
新保店長の「ビーンズ奥沢店」の店じまいとして、長年支えてくださったお客様に、店長と店の今後のことを直接お伝えしたかったのです。

少しでも恩返しになればいいのですが。

イラスト:奥沢店から独立した新百合ヶ丘「ムジナガイケ珈琲焙煎所」店長
http://mu-coffee.com/